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十字架による新しい創造

ガラテヤ人への手紙 第6章11~16節
11ご覧のとおり、私は今こんなに大きな字で、自分のこの手であなたがたに書いています。12あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見を良くしたい人たちです。彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。13なぜなら、割礼を受けた人たちは、自分自身が律法を守っていません。それなのに彼らがあなたがたに割礼を受けさせようとするのは、あなたがたの肉を誇りたいためなのです。14しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。15割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。16どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。

1.十字架につけられた

この世の価値観は私にとって無意味となり、古い「私」は死にました。

2.十字架の二段階の力

①義認は一回で完了
詩篇 第97編 2節後半「 義と裁きが御座の基である。」
主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。

②聖化は継続的過程
その人の生涯を通じて起きます。

★両者の違い
義認は、例えて言うなら、お百姓さんが無料で畑を貰うようなものです。
聖化は、お百姓さんが貰った畑を耕すことに似ています。

聖化の実りはガラテヤ5:22-23に書かれている、御霊の実です。
22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

3.新しい創造

①霊の畑を耕す
ルカの福音書 第9章 23節後半
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」

②真理によって自由と希望を得る。

③創造は主にしかできないこと。

まとめ

義認-ノン・クリスチャンに必要
―洗礼式

聖化―クリスチャンに必要
―聖餐式

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