恵み vs 行い中心
私たちはただ救われただけではなく、キリストの命に満ち溢れて生きるように新しく造りかえられました。
キリストの豊かな恵みによって生きるように!
*私たちは、神さまの御心を求めます。
けれども、時々その動機に問題があります。
良いことか悪いことか判断して生きる―「善悪の知識の木」は、律法の木?!
創世記 第3章1~6節
1さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」2女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」4そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」6そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。7このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。
私たちは、行いではなく、ただ神の恵みによって救われたはず...あれれ?行い中心に戻ってない?
行い中心-上手く行けば高慢、失敗すれば、落ち込み
気をつけて!サタンは今も、「善悪の知識の木」から私たちが実をたべるように、働いています。
「いのちの木」を選んだ生き方とは。
ガラテヤ人への手紙 第2章20~21節
20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。21私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
ヨハネの福音書 第5章20節
それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
恵み―イエスさまにより頼み、イエス様が支配される生き方です!
ローマ人への手紙 第9章16節
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。
チェックしてみよう!行い中心になっていないかどうか。
| 失敗したら、どうしようという恐れ | ある | ない |
| 人々への批判 | ある | ない |
| 自分を責めている | ある | ない |
「善悪を知識の木」 それは行い中心でいつまでたっても満足感のない生き方であり、むしろ罪悪感に支配され、死んでしまうのです。
ローマ人への手紙 第8章13節
もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。
「いのちの木」 それは恵みによって生きること。神さまの為になにをするかではなく、神さまと共にいること楽しむことです。
神さまも、歌を歌って、私たちを喜び楽しまれます!
ゼパニア書 第3章17節
あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。
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